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2005年9月のコラム
「ルームメイトが来た」の話

  予想もしなかったことが突然起きたときに、人はどんな反応をするだろうか。立ち止まり、じっくり善後策を練る人もいるだろう。いったいどうなってしまったのかとわめき散らす人もいるかもしれない。相談相手がいれば相談するのも悪くない。頭を抱えて座り込むことだってあるのかもしれない。

  ならば、犬は? 猫は? そんなことを頭の中で考えてみるのも、時には良いだろう。きっと犬はわめき散らすタイプと懸命にどうにかしようと悩むタイプに分かれるのではないだろうか。猫は大半が現実逃避するタイプで、わずかだが果敢に立ち向かっていくタイプもいるかもしれない。そんなところをイメージして、世に犬派、猫派などという識別子があるのではと、これはちょっと考えすぎか。

 衆院の解散などあろうはずもないと考えておられた諸氏の対応策は、犬派? 猫派? 亀派というのははてさて、どんなタイプなのだろう。

  さて次のカルテはと手を伸ばそうとしたところへ、電話が入った。コッカースパニエルのモコちゃんのお母さんからだ。とてもクレバーでかつ熱心な飼い主さんで、モコちゃんにラブラブ、モコちゃんもお母さんにラブラブという感じで、診察に来られてもとても第三者が立ち入れぬくらいに微笑ましい関係が見て取れる。

先生 「院長の吉内ですが。」と受話器に話しかけた。
お母さん 「あ、院長先生。モコのことでご相談があるのですがよろしいでしょうか?」

と、受話器の向こう側にお母さんの心配顔が浮かんでいる。

先生 「大丈夫ですよ。どうされたんですか?」と、水を手向けると、
お母さん 「モコの様子が変なんです。2日ほど何も食べませんし、いつものような元気もないんです。部屋の隅っこでうずくまって、名前を読んでもチラッとこちらを見るだけで。。。」

  今にもパニックを起こしそうなくらいに不安が膨らんできているのがひしひしと伝わってくる。こんな感じの電話を受けたときにいつも困るのは、直接動物を診ることが出来ないこと、飼い主さんの眼を通した情報しか伝わってこない。でも、クレバーなモコちゃんのお母さんのことなのだから、何か電話のやり取りで解決できる可能性を感じておられるのだろう。

  往々にして、電話での相談の場合、動物のことは心配なのだが、飼い主さんの事情で来院できないときに、獣医にひとこと大丈夫といってもらいたいためだけにかけてこられることが多い。少し話を聞いただけで明らかに病気で、電話している時間があるのなら一刻も早く病院へ行くべきではないのかというくらいの状況の時ですらそうなのだ。そんなときは最大限可能な家庭での処置の指示をし、できるだけ早い受診を勧めるのが常だ。

  しかし、モコちゃんのお母さんに限って決してそんなことはないだろうと、これは獣医師と飼い主さんとの信頼関係というか、お母さんに対する高い信頼感に根ざす直感だ。

先生 「何か、心当たりがあるのですか?」と問うと、
お母さん 「マンションを友達とシェアーすることになりまして、ルームメイトがいっしょに棲むことになったんです。」

  そのルームメイトの方がとても良い人で、動物を飼ったことはないけれども、一所懸命モコちゃんと仲良しになろうとしてくださっていること、お母さんもモコちゃんに、熱心に、仲良くしてもらいたいということを伝えようとしているのだということが分かった。

先生 「うーんそうですか。お話を始める前にひとつだけお断りしておかないといけません。直接診察が出来ているわけではありませんので、とりあえずモコちゃんに身体的な異常が発生していないという仮定でのお話だということです。」
先生 「ですから、どこかが悪そうだというような何か兆候が出てきた場合には、すぐに病院の方までお越しくださいね。」
先生 「で、今の状況ですが、確かにモコちゃんは強いストレスを感じていると思います。」
先生 「ストレスという言葉がぴんと来なければ、お母さんの仲良くしてほしいという期待感が大きなプレッシャーとなっている可能性がありますね。」
先生 「長時間、常に誰かの目にさらされるというのも辛いもので、疲れれば人目を避けて誰の視線も感じないところでゆっくりしたいという気持ちもあるでしょう。」
先生 「お家の中で、ハウスはどんなところに置かれていますか?」

と確かめてみた。するとお母さんは、

お母さん 「家をシェアーしたので、早く慣れてくれるようにとハウスを片付けて、モコちゃんが自由に動き回れるようにしたんですけど、かえって安心できる場所をなくしてしまったんでしょうか。」
先生 「大好きなお母さんだけならよいのですが、まだこれから仲良くなろうというルームメイトの方の視線はしんどいでしょうし、その方も良い方のようですので、きっと一生懸命モコちゃんに話しかけたりして、かまい過ぎ状態になっているのかもしれません。モコちゃんとしては気の休まるときがなかったのかもしれませんね。」
先生 「モコちゃんはモコちゃん自身でその方がどんな方かを確かめたいでしょうし、どちらかというとシャイなタイプですから、ある程度馴染んでいくのに時間が必要でしょうしね。」
先生 「最愛のモコちゃんとお母さんが選んだルームメイトの方ですから、何も心配しないで、時間が二人を仲良くさせてくれるのだと信じて特別なことをしない方がよいと思います。」
先生 「お母さんはいつも通りにしていてもらって、ルームメイトの方にはモコちゃんの警戒が興味にかわるまでそっとしておいてもらい、モコちゃんが興味を示し始めたらそれなりにかまっていただくように伝えてあげてください。」

ここまでお話しすると、お母さんは今までかかえていた大きな肩の荷をおろしたような安堵の声で、

お母さん 「なんとなく分かりました。私が気負いすぎていたのかもしれません。」

  予想もしなかった状況にどうしてよいのか分からなくなっていたお母さんの思考が軽やかに回り始め、問題の本質はすでに氷解し始めたのかもしれなかった。

先生 「そういうことで少し様子を見てあげてください。何か症状が出ればすぐに来院くださいね。」そう言って電話を切ったのだった。

  数日後がモコちゃんの定期健診の日だった。どうぞと診察室に招き入れると、いつもの元気なモコちゃんと、そのモコちゃんの視線をうれしそうに受け止めるお母さんの姿があった。

先生 「すっかり元気ですね。」そう話しかけると、
お母さん 「いつもと全くかわりません。ルームメイトともすっかり仲良しになって。」
先生 「その節は電話ですっかりご迷惑をかけてしまって。ほんとにありがとうございました。」

  いつもはお母さんばかり見て、ちっともこちらへ視線を向けてくれないモコちゃんなのだが、きょうばかりはご自慢のうんと長いまつげをしばたかせて、嬉しそうにウインクしてくれたのだった。

(文責:よしうち)
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